東京地方裁判所 平成10年(ワ)25162号 判決
原告 株式会社あさひ銀行
右代表者代表取締役 伊藤龍郎
右訴訟代理人弁護士 山本晃夫
同 尾崎達夫
同 藤林律夫
同 高井章吾
同 杉野翔子
同 鎌田智
同 伊藤浩一
同 金子稔
被告 日本バイリーン株式会社
右代表者代表取締役 岩熊昭三
右訴訟代理人弁護士 渡辺実
同 小山晴樹
同 桑原収
同 堀内幸夫
同 青山正喜
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 主位的請求
被告は、原告に対し、金三億八二〇九万六六三七円及びこれに対する平成九年五月二二日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 予備的請求
被告は、原告に対し、三億八二〇九万六六三七円及びこれに対する平成一一年三月三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 本件は、訴外文京エステート株式会社(以下「文京エステート」という。)に対して継続的に融資をしていた原告が、文京エステートの破産により同社から融資金の大半を回収できない事態になったことから、被告に対し、主位的には、被告が銀行取引約定書に基づく文京エステートの債務について損害担保をしていたと主張して、損害担保契約に基づく損害補填請求として、予備的には、被告が文京エステートの経営を指導して同社の原告に対する一切の債務について債務不履行のないように責任をもって管理監督するとの経営指導債務を負っていたと主張して、右経営指導債務の不履行による損害賠償請求として、三億八二〇九万六六三七円及びこれに対する遅延損害金の支払を求める事案である。
二 争いのない事実(証拠によって認定した事実は末尾に当該証拠を掲記する。)
1 当事者
(一) 原告は、銀行業を営む都市銀行である。なお、原告の旧商号は「株式会社埼玉銀行」であったが、平成三年七月一日に株式会社協和銀行と合併し、平成四年九月二一日、「株式会社協和埼玉銀行」から「株式会社あさひ銀行」に商号を変更した。
(二) 被告は、大日本インキ化学工業株式会社及びドイツのフロイデンベルグ社がそれぞれ発行済株式の約二〇パーセントを保有している日独合弁の株式会社であり、不織布の製造を主体とし、更に自動車資材、産業資材、医療用品、衣料製品等の製造を営業目的とする東京証券取引所第一部上場の会社である。
(三) 文京エステートは、不織布の加工及び販売、不動産の管理等を営業目的として、昭和六一年九月二六日に設立された株式会社である。なお、同社の平成四年一一月二七日から平成八年一一月一日までの商号は「バイリーン東京サービス株式会社」であり、同日以降破産終結に至るまで及び平成四年一一月二六日以前の商号は「文京エステート株式会社」であった。(乙一〇)
文京エステートの初代代表取締役は、昭和五六年六月から同六〇年六月まで被告の代表取締役社長の地位にあり、その後も同六二年六月まで被告の取締役会長を勤めた訴外猪股啓二(以下「猪股」という。)である。
平成四年一一月、猪股は文京エステートの代表取締役を退任し、被告の現職の人事部長であった森泰臣(以下「森」という。)が文京エステートの代表取締役を兼務することになった。
また、文京エステートの従業員のうち、被告からの出向者が昭和六三年四月に一名、平成二年四月に一名の合計二名あった。
2 原告は、昭和六二年一一月二日、文京エステートとの間で銀行取引約定を締結し(甲一、二)、文京エステートに対する継続的な融資取引を開始した。
原告は、平成元年四月六日、文京エステートとの間で当座貸越契約を締結し(甲三の一、四の一)、これに基づいて、<1>平成八年一一月八日に二億円、<2>同年一一月二九日に三億円、<3>同年一二月二〇日に四三〇〇万円(いずれも弁済期は平成九年一月三一日)の各融資を行った(甲五の一ないし三)。
しかし、文京エステートは、<3>については元本を完済したものの、<1>については一億五千万円、<2>については二億四六九三万九八一四円が未払となっている。
なお、原告は、このほかに約定の年一四パーセントの遅延損害金債権を有している。(甲一、九、一〇)
3(一) 原告は、平成四年春ころから、被告に対し、文京エステートの原告に対する債務につき保証するよう求めたが、被告側は、これを拒否した。その後も、原告は、被告に対し、文京エステートに対する支援を要請していた。
(二) 被告は、原告に対し、平成四年六月一二日、「経営指導に関する念書」と題する書面(甲六。以下「本件念書」という。)を差し入れた。
本件念書には、左記の記載がされている。
記
「弊社は、文京エステート株式会社(以下「同社」という)と貴社との間で締結されました銀行取引約定書に基づく、同社の貴社への一切の債務につき、将来同社の債務不履行が生じないよう、責任をもって管理・監督していくことを確約いたします。
弊社は、貴社の予めのご同意の下に、同社に対する経営指導方針を明確にして、これに基づき今後同社の経営指導を適切に行い、同社の貴社に対する一切の債務の履行が完了するまでの間、貴社のご同意なしに重要な変更は行わないものとします。
なお、貴社が同社の債務の履行が些かでも困難と判断されたときには、貴社との協議により、貴社が必要と判断される万全の対応策を弊社が講ずることを併せて確約いたします。」
(三)(1) 被告は、原告に対し、平成四年一〇月一二日、「文京エステート株式会社(株)再建策」と題する書面(甲七。以下「本件再建策」という。)を提出した。
本件再建策には、左記の記載がなされているほか、「試案」と題する書面が別紙として添付されており、同書面には、「年間収支の試算」、「借入金返済計画」、「実施後の見通し」が表形式で記載されている。なお、左記の記載中「JVC」は被告の略称である。
記
「1.JVC株、銀行株は、全株(銀行担保、自己保有とも)処分する。
2.同社に商社としての機能をもたせ、JVCの仕入窓口とする。
3.JVCが5億円を肩代り、低利(3・5%)融資を行なう。
4.JVCは施設管理を同社へ委託する。
5.人件費の一部をJVCが負担する。
6.銀行借入利息は、短期プライムレートにより設定する。」
(2) 本件再建策の日付欄には、「平成4年10月」とのみ記載されていて日の記載はなく、前記のとおり、株式会社の表示が重複して記載されている。
なお、「試案」は、一〇年間で借入金を完済するとの前提のもとにシミュレートした数値を記入したものである。
4 文京エステートの債務不履行
(一) 被告は、文京エステートに対し、本件再建策第三項記載の五億円の融資を行わず、また、本件再建策二項記載の仕入窓口化についても、平成九年一月以降は行っていない。
(二) 文京エステートは、平成九年三月二八日、東京地方裁判所に自己破産の申立て(東京地裁平成九年(フ)第一二〇一号破産申立事件)を行い、同年五月二一日に破産宣告を受けた。(甲八)
(三) 原告は、右破産手続により金一四八四万三一七七円の配当を受けたが、右破産宣告時点で文京エステートに対して有していた貸付金元金債権合計金三億九六九三万九八一四円から右配当額を控除した金三億八二〇九万六六三七円については回収不能となった。(甲九ないし一一、一三)
三 争点
本件念書及び本件再建策の作成・交付によって、被告は原告に対しどのような内容の法的義務を負ったか、本件において、被告に対する損害賠償請求権を認めるに足りる被告の法的義務違反行為があるか。
1 原告の主張
本件念書、本件再建策の作成・交付によって、被告は原告に対し、文京エステートの原告に対する債務についての損害担保債務又は文京エステートの経営を指導する債務を負った。
(一) 被告は原告に対し、平成四年六月一二日、本件念書を差し入れて、文京エステートの再建について本件念書記載の事項につき確約した。
原告は、その後、被告に対し、文京エステートの具体的な再建策を策定して提出するように要請していたところ、被告は、平成四年一〇月一二日、原告に対し本件再建策を提出し、本件再建策記載の事項について確約した。
これらの確約は、本件念書による経営指導、本件再建策による再建策実施にもかかわらず、文京エステートの再建が不能となり、原告が文京エステートに対する融資金債権に関して損害を被ったときは、被告がその損害の一切を補填する旨の損害担保契約を包含するものである。
したがって、被告には、文京エステートの倒産により原告が被った損害三億八二〇九万六六三七円につき、これを填補すべき契約上の義務がある。
(二) 仮に、右記の損害担保契約の成立が認められないとしても、原告への本件念書の交付により、被告が原告に対し、文京エステートの原告に対する一切の債務について不履行がないように、責任をもって管理監督し、文京エステートの経営指導を適切に行う旨の経営指導債務を負う旨の契約が成立した。
これによって被告が負った経営指導債務とは、文京エステートが原告に対する債務について不履行をしないことを目的とし、その実現のため、文京エステート社内における経費削減、売上げの向上、新規事業の開発、売掛先からの早急な債権回収、他社への支払いの軽減等同社の営業利益を増大すべく、文京エステートにおける経営体制、経営方針、具体的企業活動のすべてについて、被告において、適切に管理、指導、監督していく義務であり、さらに文京エステートの原告への債務の履行がいささかでも困難と原告が判断した際には、原告が必要と判断する万全の対応策を講じ、それを履行する義務をも含むものである。
次いで、原告へ本件再建策を提出したことにより、被告は、文京エステートに商社としての機能を持たせて被告の仕入れ窓口とし、被告の商品仕入れを文京エステートを経由して行うことにより同社に口銭を落とし、その利益をもって文京エステートの原告に対する債務の返済資金に充てさせ、さらに被告が文京エステートに対して年利三・五パーセントの約定で金五億円の低利融資を実行し、この融資金を文京エステートの原告に対する債務の返済に充てさせる義務を負った。これらはすべて前記経営指導債務の内容をなすものである。
ところが、原告は被告に右経営指導債務の履行を請求したにもかかわらず、被告は、文京エステートに対して、適切な管理監督、経営指導を行わず、本件再建策に記載された具体策も満足に行わなかった。
その結果、原告は、文京エステートが倒産したことにより回収不能となった債権額三億八二〇九万六六三七円相当の損害を被ったが、これは被告の右経営指導債務の不履行によるものである。
(三) 本件念書においては、文京エステートの原告に対する債務について将来債務不履行が生じないようにするという目的が明記されており、かつ、当時既に文京エステートに対する融資は実行されていて、現実の負債額も明確であったのだから、被告が行うべき管理、監督や経営指導の内容は客観的に明確である。
また、本件再建策には、具体的な内容の措置が記載されている。
(四) 被告は、文京エステートの実質的な親会社であり、文京エステートへの融資を原告に要請したのも被告である。
被告が、文京エステートの倒産を防止するために、口銭を同社に落としていたのは客観的事実であり、これは被告が文京エステートと深い関係にあって文京エステートを支援せざるを得なかったことを如実に示している。
2 被告の主張
被告は、原告に対し、原告主張のような内容の損害担保債務や経営指導債務を負わない。
(一) 本件念書は、原告が被告に対し、大蔵省等の検査の際の資料又は社内稟議の際の資料として用いる等と言って作成・交付を求めたことから、被告の当時の常務取締役で、経理財務担当であった内田茂(以下「内田」という。)が事務担当者に指示して作成し、管理部門の関係取締役及び部長等で、被告の法的責任が生じないようにとの観点から検討して作成したものである。
本件再建策も、被告側の当時の財務部長であった村岡武(以下「村岡」という。)が、原告から大蔵省等の検査の際の資料又は社内稟議の際の資料として用いるので写しでよいから提出してほしいと頼まれ、被告社内に正式に諮ることなく、この種の書類を銀行に提出する際には必ず要求される実印ではなく、経理・財務担当部署の保管する銀行取引印(手形小切手の振出、預貯金の出し入れ等に用いる印)を押捺し、日付欄も年月のみ記載して日の記載を故意に省くなどした上で、その写しのみを原告に交付し、後日原告から正規の書面であると言われないように充分配慮して作成交付したものである。本件再建策には、原告側で検印欄すら設けておらず、その他銀行の定める収納手続が行われたことを推認させる証は一切存しない。
このように、本件念書、本件再建策は形式的に作成・交付されたものにすぎず、被告に対し原告主張のような内容の法的義務を負担させる趣旨のものではない。
また、被告は、文京エステートの原告に対する債務を保証することには合理性がないからこれを拒否したのであり、被告が文京エステートの負債に関して実質的な責任を負担することはすべて右債務保証と同様に、これを行うことには合理性がないのであって、原告主張の損害担保契約もその点で保証と変わりはない。
要するに、被告は、原告に対し、文京エステートの負債については、どのような法形式をとるにせよ一切その責任を負担できないのであり、この点については原告にも説明済みである。
(二) 本件念書に記載された被告の経営指導債務は、管理・監督を手段とするものに限られ、かつ、その債務の内容は、不明確である上、原告のあらかじめの同意を要するものの経営指導方針は被告が決定することとされており、被告が適切と考えるところに従って経営指導をすれば足りるというものである。原告から被告に対し、被告の管理・監督のあり方等について、本件念書に基づく協議の申入れなどされたことはない。
本件再建策の内容も、第一項の株式の処分の主体は文京エステートであり、第六項の借入利息設定の主体は銀行であって、いずれも被告において実行可能な約束ではない。このように、本件再建策は、具体策を実行すべき者の区別に従った記載事項の吟味すら満足にされておらず、これが被告の原告に対する約束を記載したものでないことは明らかである。また、第二項ないし第五項についても、実現可能性という点からみて、不合理な内容である。
本件再建策に添付された「試案」の内容についても、被告が文京エステートに対し年間三億円の口銭を取得させることになっているが、これは被告の東京での仕入れが六〇億円しかないことを考えれば荒唐無稽であるし、それ以外の数字も客観的に何の裏付けもないものであり、単なるシミュレーションにすぎない。
(三) 被告と文京エステートの間に資本関係はなく、法律的にも実質的にも親子会社の関係がないことはもとより、被告は文京エステートの経営にも全く関与していない。
被告が、とりあえず文京エステートに口銭を取得させて資金援助に踏み切ったのは、被告と文京エステート間に支援を合理的とする事情は存在しないものの、当時は銀行の不良債権問題が取沙汰されていたこと、原告は被告にとっても主要な取引銀行であり、被告が支援を断って文京エステートが倒産した場合、被告と原告との関係が悪化して原告から被告への融資を引き上げられる等の不利益を被るおそれがあったこと、いわゆる横並びの取引慣行のため他行と被告との取引にも影響するおそれがあったことなどから、被告としては、慎重に支援の可否を検討しなければならず、少なくとも文京エステートに対する支援の可否を検討する間は、文京エステートの倒産を防止する必要があったからである。
第三争点に対する判断
一 原、被告間の交渉の経緯等について
前記争いのない事実、関係各証拠(甲一二、乙七、八、証人岡本、証人内田の各証言)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) 原告と文京エステートとの間の与信取引は、銀行取引約定書を取り交わした昭和六二年一一月二日から始まったが、文京エステートは、被告の子会社でなく、当時は経営面での関連もなく、被告は、原告の文京エステートへの融資にも関与していなかった。もっとも、両者の間には、昭和五六年六月から同六二年六月まで被告の代表取締役社長ないし会長を務めた猪股が、文京エステートの初代の代表取締役社長となり、右与信取引当時、その職にあったこと、文京エステートは被告の従業員の寮の所有者であり、被告の株式を保有していたこと等の関係があった。
猪股は、平成四年三月ころ被告会社を訪れ、常務取締役である内田に対して、文京エステートが株式投資の失敗により、資金繰りが困難な状況にあることを告げ、株式投資をやめて、株式担保を不動産担保に切替えたいので、文京エステートの取引銀行である原告、三菱信託銀行(以下「三菱信託」という。)、三和銀行(以下「三和」という。)の三社(以下この三社を「本件各取引銀行」という。)に話をしてくれるように頼んだ。
内田は、三菱信託に猪俣の右依頼の内容を伝えたが、猪俣が担保として提供すると言った不動産は、既に三菱信託の担保となっており、右担保の切替えは困難であることが判明した。
(二) 文京エステートは、平成三年八月の決算で債務超過に陥り、平成四年になっても株式市況は好転せず、自力による再建は困難な状況となった。
そこで、原告を含む本件各取引銀行は、被告に対し、平成四年春ころから、債務保証を含めた文京エステートに対する支援を求めてきた。
被告は、本件各取引銀行に対し、文京エステートは被告の子会社ではないこと、文京エステートと本件各取引銀行との与信取引も銀行出身の猪股がその経験を生かして開始したもので、債務超過に陥る原因となった巨額の株式投資についても猪股の独自の判断で行ったもので、被告はこれに全く関与していないことなどから、文京エステートの債務を保証することには企業としての合理性がないとしてこれを拒否したこと、債務保証以外の支援についてもこれを行うことは非常に難しいが、一応検討すると伝えた。
(三) その後、三菱信託と三和は、被告に対して、債務保証書の提出は無理としても、債務保証書類似のものを提出するよう要請したが、被告はこれを拒否した。そこで、三菱信託は、平成四年五月中ごろ、被告に対し、左記の文案の「経営指導に関する念書」(乙七)を提案した。
記
「当社は、○○株式会社(以下「同社」といいます)と貴社との間で締結された平成○年○月○日付金銭消費貸借契約証書に基づく金○○○円也の借入に関し、同社の債務不履行等があっても、貴社にはいささかも迷惑・損害をかけません。
当社といたしましては、同社の経営指導を適切に行い、責任をもって管理、監督していく所存であり、同社に対する貴社の貸出金が完済されるまでは貴社の事前の同意を得ないかぎり、同社に対する経営指導方針につき重要な変更を行わないことを約束します。なお、貴社が同社の上記借入債務の履行が困難と認められた場合は、貴社と協議のうえ当社の連帯保証その他万全の対応策を考慮し実施することを確約いたします。」
しかし、右文案には、被告が拒否したにもかかわらず、「連帯保証」という文言が記載されていたので、被告の管理部門の関係取締役及び部長等で連帯保証の文言を削除し、被告に保証類似の法的責任が生じないような文案を検討した。その結果が本件念書の文言であり、被告としては債務保証等の法的責任は負えないので連帯保証の文言を削除した旨を三菱信託、三和に告げて、経営指導に関する念書の作成に応じることとし、右念書を右各銀行に交付した。
同じころ、原告も、被告に対し、右各銀行と同様の要請をしてきたので、被告は、同年六月ころ、右各銀行に交付したものと同じ文案の経営指導に関する念書(本件念書)を作成し、同月一二日、これを原告に渡した。
(四) さらに、原告を含む本件各取引銀行は、被告に対し、文京エステートに対する貸付けを維持するためには、社内稟議、大蔵省の検査に対応しなければならないとして、その際に用いるための同社の再建策を記載した書面の作成を要請した。被告は銀行側の右事情を理解し、被告のメインバンクである三菱信託を含む本件各取引銀行との関係を損なわないようにするため、再建策の作成に応じることにした。
そこで、被告は三菱信託からの提案を元にして、本件再建策と同じ内容の書面(ただし、被告会社の記名、押印及び宛名のないもの)を作成し、平成四年八月下旬ころ、これを本件各取引銀行に渡した。
この際、被告において、右書面に記載された内容に関して取締役会に諮ることはしなかった。
(五) その後、原告を含む本件各取引銀行は、被告に対し、右書面の作成を要請したのと同様の理由から、右書面に記載された再建策を数値化したものの作成を要請してきた。
そこで、被告は、前と同様の理由でこれにも協力することとし、株価の上昇期待を盛り込むなどして、一〇年程度で負債の整理がつくようなシミュレーションを記載して、本件各取引銀行に渡すことにした。
被告は、平成四年一〇月一二日、原告に対し、被告の銀行印が押捺された本件再建策の写しと別紙の「試案」(本件再建策を数値化したもの)を併せて交付した。
(六) 被告は、平成四年一一月から、文京エステートに四〇〇万円で資本参加し、同年一一月二七日に文京エステートは「バイリーン東京サービス株式会社」と社名変更し、猪股が退任して被告の人事部長森が文京エステートの社長に就任した。その結果、被告は文京エステートの約一六・七パーセントの株主となった。
被告は、平成五年四月から、文京エステートに被告の仕入れ業務の一部代行をさせることにより、その口銭として、平成五年八月決算期に約三三〇〇万円、平成六年八月決算期に約九八〇〇万円、平成七年八月決算期に約九六〇〇万円、平成八年八月決算期に約八六〇〇万円をそれぞれ文京エステートに支払ったが、その額は、「試案」記載の金額には達していなかった。
また、被告は、文京エステートに対する五億円の低利融資を実行せず、その他本件再建策に記載された内容の支援を実施しなかったが、原告を含む本件各取引銀行は、本件再建策及び「試案」に基づき、その記載どおりの支援の実施を被告に求めたことはなかった。
(七) 平成八年一〇月から同年一一月にかけて、東京国税局による被告に対する税務調査が行われ、平成九年春、文京エステートの代行業務には実態がないと判断されて、追徴課税処分が行われた。このことが新聞報道され、以後被告による文京エステートに対する口銭の支払等による支援は事実上不可能となった。
二 本件念書及び本件再建策について
1 まず、本件念書についてみるに、前記認定のとおり、本件念書の文言のうち、第二段は経営指導方針の明確化及び被告の同意なしに重要な変更を行わないことを約したものにすぎず、第三段は協議条項であり、原、被告間の協議をした上で被告が対応策を講じることを約したものであり、被告が協議に応じなかったとしても、せいぜい協議に応ずべき義務の違反が生じるにすぎない。また、第一段の内容には、被告が、文京エステートの原告に対する債務を保証する旨の文言はもとより、その不履行により生ずべき原告の損害を担保することを約束する旨の文言は全く含まれていない。もっとも、管理・監督を確約する旨の文言はあるが、「将来同社の債務不履行が生じないよう、責任をもって管理・監督していく」という極めて不明確な内容であり、この文言により被告が負担すべき管理・監督義務の内容は、本件念書上、具体的かつ一義的に特定されているとは認め難い。
2 次に、本件再建策についてみるに、原告の当時の外神田支店支店長であった岡本日出男の証言によれば、<1>原告は、一般的に銀行取引開始に伴って銀行取引印と実印の届出を受けること、<2>銀行取引印は手形小切手の振出し、預貯金の出し入れといった事務的処理、すなわち、銀行取引約定でいう銀行取引に用いる印であり、実印は右の事務的取引以外の銀行と取引先との間の基本的な契約の締結等について用いる印であること、<3>本件念書、本件再建策のような文書はいずれも実印が押捺されるべき文書であることが認められる。
他方、前記争いのない事実、関係各証拠(甲六、七、乙一ないし五の三、証人岡本、証人内田の各証言)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
(1) 原告は、被告と取引を開始するに当たって、被告の実印、銀行取引印の二種類の印鑑の届出を受けた。
(2) 本件念書には被告の実印が押されているが、本件再建策には被告の銀行取引印が押されている。
(3) 本件念書には検印欄があり、そこには原告の担当者の印がもれなく押されているし、更に受付日欄も設けられていてゴム印が押されているのに対し、本件再建策には、検印欄、受付日欄ともになく、原告が受領する文書についての原告が定める正規の収納手続が行われた形跡がない。
(4) 本件再建策は写しである上(原告はその原本を提出しておらず、原本を提出できない合理的な理由が存在することについて何らの主張立証もないので、原告は、その原本を所持していないものと推認し得る。)、その表題は「文京エステート株式会社(株)再建策」となっていて、株式会社の記載が重複しており、その日付欄には年月だけ記載され、日の記載はない。
(5) 本件再建策においては、その第一項の株式処分の主体は文京エステートであり、第六項の借入利息設定の主体は銀行であるなど、各再建策を実行すべき者の区別に従った記載がされていない。
(6) 本件再建策の別紙の表題は「試案」となっており、その内容も、一〇年先までのことが見込み(例えば保有株式については、年率五パーセントの株価の上昇を見込んだ評価)で記載されている。
三 本件念書及び本件再建策の評価と原告の主張についての判断
以上の事実関係によれば、(1) 被告は、株式投資の失敗により経営危機に陥った文京エステートに対する本件各取引銀行からの支援の要請に対し、同社は被告の子会社ではないこと、右株式投資についても被告は全く関与していないこと等の理由から、終始一貫して、原告を含む本件各取引銀行に対する同社の債務の保証はもとより、これに類似する被告の法的責任を生ずる書面の作成を拒否してきたこと、(2) 本件念書等の作成に際しても、その原案から連帯保証の文言が削除されるなど、被告の右意向が十分反映された内容になっており、また、本件念書には、文京エステートの管理・監督を確約する旨の文言はあるが、被告が負担すべき管理・監督義務の内容が、書面上、具体的かつ一義的に特定されているとは認め難いこと、(3) 本件再建策及び別紙の試案は、その書面の体裁、内容及びその作成の経緯からみて、被告が原告に対し、そこに記載された各支援策の実施を確約した正式の文書であるとは認め難いことが明らかである。
以上の諸点に照らせば、本件において、原、被告間に原告主張の内容の損害担保契約が成立したとは到底認め難いものといわざるを得ない(これを認めるに足りる証拠はない。)。また、本件念書(甲六)により、被告が原告に対し、文京エステートの原告に対する一切の債務につき、将来債務不履行が生じないように管理・監督することを確約したことは明らかであるが、本件において、被告が、この管理・監督の義務に違反したこと(義務違反の事実)、及びこれにより原告に対し原告主張の損害を生じさせたこと(義務違反と損害との相当因果関係の存在)を認めるに足りる証拠はない。
してみると、原告の右各主張は、いずれも採用することができないものというべきである。
四 結論
以上のとおり、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高橋利文 裁判官 潮見直之 裁判官 矢口俊哉)